上原 洋一
Yoichi Uehara
情報デバイス研究部門 教授
Information Devices Division, Professor

2021.3 退職

私は昭和61年4月に東北大学電気通信研究所に助手(旧光電変換部門–潮田研究室に配置)として採用され、平成4年に助教授、平成17年に教授(ナノフォトエレクトロニクス研究室担当)に昇任をさせて頂き、令和3年3月で定年を迎えました。この間、多くの先生方、事務部と技術部の皆様、研究室に在籍した学生諸氏には大変お世話になりました。御礼申し上げます。

在任期間中は大変楽しく過ごさせて頂きましたが、最も印象的な出来事の一つに平成23年3月11日14時46分に発生した東日本大震災があります。丁度青葉山新キャンパスに予定されていた新棟の詳細設計が終了した時期で、近年の建築物は地震で倒壊に至ることはないとのことを繰り返し教えられていました。この予備知識と震災発生時にたまたまナノ・スピン実験施設棟(平成17年竣工)に居たことから、地震自体に対しては、いやにしつこく揺れている程度の印象しか残っていません。また、耐震能力が懸念されていた1号館と2号館も倒壊に至ることはなく持ちこたえました。

しかし、言うまでもなく、大変なのは一過性の地震ではなく、そこからの復旧作業です。発生当日は所長、事務長が出張で不在でした。また、現在のように防災・業務継続計画(BCP)の準備もありませんでした。しかし、避難場所への集合、安否確認、並びに建物被害状況確認は極めて手際よくなされ、私の記憶によりますと、18時までに帰宅可能の指示が出されています。3月13日には片平キャンパス受電設備までの送電が回復し、翌14日には所長、事務長が帰任されました。福島での原子力発電所事故の影響で若干の遅延はありましたが、15日には所長、事務長による全館巡視後、1号館、2号館への送電が開始され、入館が許可されました。このように、所長の帰任後、速やかに復旧作業の開始がなされたのは大変印象的でした。無論、言うまでもありませんが、従来と同じレベルの研究教育活動が実施出来るようになるまでには月単位、年単位の時間が必要でした。

国立大学の法人化以降、組織の長の判断・指導は益々重要になって来ています。東日本大震災の対応に限らず、私の在任中の電気通信研究所長は様々な課題、問題に対し適切な判断をなされていたことを思い出します。今後とも所長を中心に電気通信研究所が団結し、益々発展していくことを祈念して、退職のご挨拶とさせて頂きます。